ICD JAPAN NEWSLETTER No.7
2025年10月01日
International Career Development(株)(ICD Japan)の横山和子です。
本メールはICD Japan Newspaper第7号です。今までに名刺交換させていただいた方、友人で若者の人材育成に関心のある方に初めてお送りしています。発行は通例、年4回、1月、4月、7月、10月を予定しています。過去のパックナンバーはHPトップページの最後からご覧いただけます。
今回のニュースレターNo.7では、私が3年前に始めたサンティアゴ巡礼路、通称Camino,を歩いている背景とそこで出会った人々などを紹介いたします。コーヒーブレイクとして読んでいただければ幸です。
【なぜ、Caminoを始めたのか? 背景】
私は北海道大学・経済学部を卒業後、ロータリー財団の奨学金を得てアメリカでMBAを取得し,1980年に帰国しました。当時は大卒女性が社会で活躍する場所は本当に限られていました。大学2年次末に女子学生(5/160人)が事務室に呼び出され、公務員になるか、教員になるなど自助努力で就職先を見つけてほしい、と言われました。男子学生は10倍の売り手市場でした。私は、留学を終え帰国後に就職活動を行ったのですが、結果は芳しくありませんでした。帰国当時、外務省が主催する若手日本人を国際機関に送り出すAssociate Expert 制度(現 JPO Program)に応募し、合格。1981年春に国際労働機関(ILO,International Labor Office)のジュネーブ本部、雇用局に赴任しました。私の最初の就職先です。ILOでオフィスをシェアしたのがエブリンおばさんでした。彼女はスイス人でLibrarianと呼ばれる一般職の司書。彼女はシングル・マザーで働きながら息子を育てていました。彼女は毎年7月末になると、Caminoに行くといってスペインに出かけ、9月1日に職場に戻り通常業務に戻っていました。スペインで何をしているの?と尋ねると、彼女は、一人で歩いている、と答えました。けれど私には彼女がなぜ毎年、スペインを一人で歩いているのか全く理解できませんでした。そしてCaminoのことはすっかり私の頭から忘れ去られていました。ところが、40年後、Caminoとの出会いが再現しました。
ご存じのように、2000年にコロナ禍が世界を覆い、世界中の人がStay Homeの状態になりました。当時アメリカで働いていた娘は一時帰国し、自宅からオンラインで仕事をしていました。ある日、二人でNHK BSの番組「中世の巡礼路を歩く(?)」を視聴していたら、それはまさに、エブリンおばさんが歩いていたCaminoを紹介する番組でした。40年後におばさんが何をしていたのが分かった瞬間でした。娘が「ママ、Caminoをやりたいの?」と尋ねたので、「やりたい」と答えました。私はその前年に夫を亡くし、供養にもなると考えたのです。娘の方は大学のフランス語の時間にCaminoのことが取り上げられ、何人かの男子学生は巡礼路の一部を歩いていたので、彼女自身も興味を持っていました。二人の興味が一致し、二人のCamino が2023年に始まりました。
【Caminoとは?】
Camino(サンティアゴ巡礼路)は、中世から続くヨーロッパ有数の巡礼路で、スペイン北西部サンティアゴ・デ・コンポステーラ大聖堂に眠ると伝えられる聖ヤコブの墓を目指し歩く道です。当時は罪の赦しや信仰の証として重要な意味を持ち、各地から多くの巡礼者が集いました。今日ではサンティアゴ巡礼路はユネスコ世界遺産に登録され、宗教的目的に限らず、歴史的街並みや豊かな自然を楽しみながら歩ける文化的な旅として世界的に人気があります。身体を使って歩くことで心身を整え、日常を離れて自分と向き合う機会を得られることもあり、多くの現代人を惹きつけています。
地図を見てください。Caminoの道はヨーロッパ各地から道が作られ、スペインのサンティアゴ・デ・コンポステーラ大聖堂に至る道が整備されていることが分かります。私たちが歩いているLe Puyの道が一番有名で、知られていますがパリ、ジュネーブ、北欧からの道もあります、
Le Puyの巡礼路の街道です。Le Puyからスペインのサンティアゴ・デ・コンポステーラ大聖堂までの全長は1522kmです。
【ホタテと巡礼手帳】
巡礼者はペルラン(Pèlerin)と呼ばれ、ホタテと巡礼者手帳(Credenciale)を身に着け歩きます。ホタテ貝は巡礼者であることを示します。デイ・バックにホタテ貝をつけて歩いていると、パリの地下鉄の中などでも「Caminoしているのね!」と声を掛けられます。巡礼者は巡礼者手帳にタンポン(スタンプ)してもらいながら旅を続けます。日本の御朱印帳ですね。巡礼者は市町村役場、教会、巡礼宿などで、巡礼手帳にタンポンしてもらいます。私の巡礼手帳は2冊目に突入しました。
【我が家の巡礼】
2023年(1年目)。私たちは2023年8月1日にLe Puyを出発し、Aumont-Aubracという町まで6日間、92.7kmを歩きました。この年はお試しのピクニック気分でした。高原の牧場を歩き、たくさんの牛を友としました。野生のベリー類を口に入れ、写真を撮り観光気分でした。
2024年(2年目)。私たちは電車で前年の最終到達地、Aumont-Aubracに7/31に到着し、8月1日に同地を出発し9日にFigeacという鉄道駅まで歩きました。9日間で162kmです。
我ながら驚くのですが、歩けるのです。この頃から、二人はスペインのピレネー山脈を越えで、サンティアゴ・デ・コンポステーラ大聖堂まで歩くことを考え始めました。
2025年(3年目)。今年は6月と9月に2回巡礼を行いました。娘は現在、大学院の博士課程に在籍しています。学位を取得しフルタイムの職を得るまでにこのCaminoを完結させるためには、距離を稼がなければなりません。第1回の6月は、前年の到着地Figeacを出発。巡礼路の迂回路を進み、世界遺産となっているRocamadourという岩山の上にそびえる中世のちいさな町を経由し、最終的にMoissacという鉄道駅まで歩きました。6月19日から29日の11日間で208km,一日平均19km歩きました。2023年、2024年はさわやかな気候の中で快適に歩いたのですが、この年の6月はヨーロッパを熱波が襲い、摂氏30度くらいの中を歩きました。最終日、Moissacの中心地は38度でくたくたになりながら歩きました。この時、巡礼をあきらめた人たちが結構いたと聞いています。
第2回目は9月4日から10日までの7日間、MoissacからNogaroまで歩きました。7日間で歩いた距離は140kmです。この時点で合計33日間、600km歩き、全行程の1/3を歩きました。9月は6月と異なり、天候に恵まれました。毎日16-20度前後の気温で雨にも降られませんでした。
【宿泊(巡礼宿)】
巡礼宿:民泊で、地方自治体に登録し、認可を受けた一般家庭が巡礼者を受け入れます。予約はネットか電話。巡礼者は午後に巡礼宿に到着すると、シャワーで汗を流した後に衣類を手で洗濯し外に乾かします。通常、晩御飯が終わるころには衣類は乾きます。晩御飯は宿の家庭料理をごちそうになります。朝食・晩御飯がついて一泊7,000円から1万円くらい。自治体が運営している巡礼宿は0円からと安価ではあるけれど、サービスは低いとのことです。巡礼宿で他の巡礼者と情報交換します。宿で一緒になった人たちは道中でも出会います。次の朝は7時頃に朝食をとり、7時半から8時頃に巡礼のため宿を出発します。
荷物運搬サービス:私は40リットルのリュックに荷物を詰め飛行機・電車での移動をしますが、歩くときは、水、昼食、お菓子を入れたデイバックを背負い歩きます。ピクニックの恰好です、ハイドレーターと呼ばれる容器に水を入れ、デイバックに装着し水を口に加え、水を吸いながら歩きます。点滴の容器を考えてもらえばよいです。荷物運送サービスは、巡礼者が毎朝、8時までに巡礼宿の入り口に荷物を置いておくと、その日に泊まる宿に届けてくれるサービスです。費用は1回1000円くらい。通常、ネットでの事前予約制です。私たちはこのサービスを使い、体力を温存しましたが、本来の巡礼者は全荷物を背中に担ぎ歩きます。
【巡礼で出会った人たち】
巡礼で出会った印象に残る人たちを紹介します。
エマニュエル:2023年の最初の巡礼宿で一緒だった50代中盤くらいのおじさん。2日目の宿(山の中のホテル)で再会したので3人で一緒に夕ご飯を食べました。私は彼に巡礼の目的を訪ねると、彼は、会社をクビになり、次の後半の人生をどう生きるか考えるために巡礼に来たと答えました。彼が再就職できたか知りたくなり、メールアドレスを交換することにしました。彼はアメリカに留学したこともあり、英語で会話しました。半年以上たってから彼から再就職できたと連絡がありました。彼とは後日談があります。私はフランス巡礼のためにDuolingoと呼ばれるAI使った語学学習アプリを使いフランス語を学習しています。エマニュエルは同じサービスを使いインドネシア語を学んでいるのです。私たちは学ぶ言語は異なるけれどDuolingo友達になっています。
パスカル・マリー夫妻:二人は今年9月の巡礼でCondomの巡礼宿で夕食時に隣に座っていたブルターニュから来た夫妻です。パスカルは69歳、後で柔道黒帯2段と分かりました。マリーは銀行に勤務するワーキング・マザーでしたが、現在は退職し孫が8人。道中、私とマリーの歩く速度がほぼ同じで4人で歩くことになりました。私たち4人はNogaroまでの3日間、フランス語で話しながら歩きました。うまく表現できない時は娘に通訳してもらいながら、いろいろ話しながら歩き続けたのです。パスカルは講道館柔道を学び、講道館柔道の創設者、嘉納治五郎の話をしてくれました。相撲も好きだといいます。二人はパスカルの70歳のお祝いに日本を訪問するのが夢である、と述べました。来年11月に来日したい、というので、日本を案内してあげることを約束しました。講道館や、合羽橋に連れて行ってあげたいと思っています。
以上が2023年から2025年の3年間の私のCamino体験記です。次回の巡礼旅は2026年は、5月を予定しており、スペインとの国境の町、St.Jean Pied de Portまで歩く予定です。Caminoを続けるために、体調に気を付け毎日を過ごしたい、と考えています。コーヒー・ブレイクはここまでといたします。楽しんでもらえれば幸です。
ここからは、弊社の事業紹介です。弊社ICD Japanは人材育成支援サービスを目的とする会社で、個別キャリア相談・グループセッションをオンラインで実施しています。日本語・英語の2言語対応です。2025年4月からの取り組みとして、グループセッションは無料(0円)にすることにいたしました。発信力が弱いのか、グループセッションを利用する人は少ないです。他方、海外・国内在住の外国人が相談されています。ニュースレターを読み、相談したいと考える人は無料グループセッションをご利用ください。グループセッションでは、横山が1時間程度レクチャーを行った後に、Q&Aを30分程度行います。大学生で会社選びに悩んでいる人、会社員で転職を考えている人、海外のワーキングホリデイーを考えている人など、興味を持ったら申し込んでください。
弊社は下記の人々への相談に応じています。守秘義務はお約束いたします。
- 国際的なキャリアを構築したいと考えている方
- 国際公務員を希望している方、応募方法・応募用紙の書き方が分からない方
- 転職を考えている方
- その他キャリアに関する悩みを持ち、考えを整理したいと考えている方
興味のある方は弊社HP ICD Japan – Your Career Consulting service を訪問してください。
最後に、弊社が2025年10月~2026年3月までに主催するグループセッションを紹介いたします。興味のある方はぜひ受講を検討してください。グループセッションはほぼ毎月第1、第3土曜日の午前10時から開催いたします。個別相談は平日の日中、夜間に行っています。HPから予約してください。こちらは費用が発生します。
予約手続きは各セッションの1週間前までにHPから行ってください。以上。
ABOUT ME
横山和子(よこやまかずこ)北海道小樽市生まれ。北海道大学卒業後、米国インディアナ州立大学にてMBA取得。京都大学博士(経済学)。ILO、UNHCR、FAO等の国連機関に勤務後、帰国。現在、International Career Development株式会社CEO、大学非常勤講師。
最近の出版物
トークセッション バックナンバー
‣ 2024年10月26日: ICD Japan主催 第1回トークセッション
‣ 2025年5月2日: ICD Japan 主催 第2回トークセッション
ニュースレター
‣ 2025年1月: ICD Japan Newsletter No.4
‣ 2025年4月: ICD Japan Newsletter No.5
‣ 2025年6月: ICD Japan Newsletter No.6
‣ 2025年10月: ICD Japan Newsletter No.7
‣ 2024年4月: ICD Japan Newsletter No. 1
‣ 2024年7月: ICD Japan Newsletter No. 2
‣ 2024年10月: ICD Japan Newsletter No. 3