メキシコにヤクルトを定着―日系社会への貢献 

地球の反対側で日系人が活躍

下記は「月刊グローバル経営 2025年3月号」(一般社団法人 日本在外企業協会刊行)の「Plaza 経営」(24-25頁)に所収されています。

【プロフィール】​
International Career Development ㈱ CEO 横山和子
ブラジル在住ジャーナリスト 大浦智子

横山和子(よこやまかずこ)北海道小樽市生まれ。北海道大学卒業後、米国インディアナ州立大学にてMBA取得。京都大学博士(経済学)。ILO、UNHCR、FAO等の国連機関に勤務後、帰国。現在、International Career Development株式会社CEO、大学非常勤講師。

大浦智子(おおうらともこ)1979年兵庫県生まれ、高校卒業まで神戸市で育つ。信州大学教育学部卒業後、2001年からブラジル・サンパウロ在住。フリーランスで現地の日本人向けマスコミで取材・執筆活動ほか、編集業務に携わっている。

ヤクルトはメキシコブランド?

メキシコ人留学生が日本のコンビニでヤクルトを見て、「メキシコの飲料がここに!」と驚き、のちにヤクルトが日本発のブランドだと知ってさらに驚いたという。ヤクルトは日本を含めた世界40の国と地域で事業展開している。

多くの人々に「メキシコ企業の商品」と認知されるほど地域に根差したビジネスを展開するメキシコヤクルト株式会社は、1981年にヤクルト本社とメキシコ側の3名の共同代表(春日カルロス氏、佐藤アキラ氏、平田ペドロ氏)の共同出資で創業された。その初代社長に就いたのが日系メキシコ人2世、当時44歳の春日カルロス氏であった。

春日カルロス氏

カラフルな浮き輪

カルロス氏の父親は長野県出身。養蚕業が盛んだった同県では、1929年の世界恐慌で生糸の価格が暴落、多くの農家が困窮する中で、20歳の彼は新天地に活路を求めた。当初は姉が移住していた米国を目指したが、1924年に施行された排日移民法のために諦め、1930年にメキシコに移住した。当時は満州などへ渡る人も多い時代だったが、彼は同郷の女性を呼び寄せ、かの地で家庭を築いた。

家族は地方で農業に従事した後、雑貨店を開業したが、真珠湾攻撃の影響で一家はメキシコシティに強制移住させられた。第二次世界大戦後は、メキシコシティに留まり菓子店を開業。息子のカルロス氏は、メキシコシティの高校を卒業し、会計士の資格を取得した後、1956年、18歳の時に日本語を学ぶため上智大学に私費留学した。ある時、東京の見本市でカラフルな浮き輪を初めて見た。当時のメキシコでは、海水浴には自動車のタイヤのチューブを使っていた。カルロス氏は父親に浮き輪のことを伝えると、父親は息子に大学を辞め、東京の下町にある浮き輪製造会社で機械の運転やメンテナンスの技術を習得するよう命じた。カルロス氏は日本の若者と一緒に会社の寮で生活し、近所の銭湯に通い、日本の文化を学んだ。さらに、社長が毎日早朝から出社し、社員が来る前に工場内外の敷地を掃除するなど、人一倍働いている姿を目の当たりにして、日本におけるビジネスの基本や経営慣行を深く学んだ。

父親はメキシコシティで浮き輪の製造会社「Industrias KAY」を創業し、同社はのちにメキシコで大手の玩具メーカーに発展する。カルロス氏は日本的経営を実践しながら父親の事業を助けた。当初13人だった従業員は600人を超えた。1968年に開催されたメキシコオリンピックの開会式では、KAYの5色の巨大浮き輪が競技会場の空を舞い、同社の知名度はさらに高まった。

社会課題解決に向け

かつてのメキシコは、平均寿命が短く、未婚の母が多いなどの社会問題に加え、当時は野菜を洗わずに食べていたため、腸内環境に問題を抱えている人が多くいた。市場調査の一環で、軽トラックで市内を走り回り、道端に置かれている家庭用ゴミ袋を回収して中身を分析し、メキシコ人は炭酸飲料を多く飲んでいることも分かった。この知見が氏のメキシコヤクルト創業への強い動機付けとなった。

メキシコヤクルトを設立する際、カルロス氏は銀行からドル建てで100万ドルの借り入れをした。しかしペソの大暴落により借入金が膨れ上がり、返済に多くの苦労を強いられた。事業が軌道に乗るまでには8年を要した。

南米ではブラジルが先行し、1966年にブラジルヤクルト商工株式会社が設立された。ブラジルヤクルトは創業10周年までに国内で100万本売り上げた。カルロス氏はこの記念式典に招待され、会場で多くのブラジル人ヤクルトレディが元気に整列し行進する様子を見た。カルロス氏は乳酸菌飲料がメキシコ人にも受け入れられると確信した、という。

メキシコヤクルト イスパルカ工場(ヤクルト本社提供)

日系社会への強い想い

カルロス氏は日系社会を中心に、教育や文化福祉事業などへ積極的に私財を投じてきた。氏のモットーは「良き市民であること」と「スマイル」。その想いは、62歳で他界した父親の影響が大きい。父の夢は、日本とメキシコの文化教育を提供することであり、具体的には、日系人にもメキシコ人にも門戸を開いた新たな教育機関の設立であった。氏は1977年に日本メキシコ学院(リセオ)の開校に尽力することにより、父の夢をかなえた。同学院は、現在もメキシコで高い評価を得ている。

メキシコでもヤクルトレディが宅配販売(ヤクルト本社提供)

2023年3月時点で、1日平均約400万本のヤクルト商品がメキシコの人々に愛飲され、約9千人のヤクルトレディが働いている。ヤクルトもヤクルトレディもとても身近な存在なため、しっかりと現地に根づいている。近年では、日系の自動車関連企業の進出が相次ぎ、雇用が増えているハリスコ州やグアナフアト州などの中央高原(バヒオ地域)での販売が特に好調である。地球の反対側で働く日本人駐在員や帯同家族の健康増進に、今日も貢献できることをカルロス氏は願っている。

ABOUT ME

横山和子(よこやまかずこ)北海道小樽市生まれ。北海道大学卒業後、米国インディアナ州立大学にてMBA取得。京都大学博士(経済学)。ILO、UNHCR、FAO等の国連機関に勤務後、帰国。現在、International Career Development株式会社CEO、大学非常勤講師。

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